カープと私【№1】
2016.08.16|中井 克洋
私の机の後ろに、
あるパネルがおいてあります。
昭和55(1980年)の
日本シリーズで、広島カープが
近鉄バッファローズを破って
日本一になった時のマウンドに
かけよった選手たちの写真です。
輪の中心には江夏がいて、
そこに衣笠、高橋慶彦、
水沼が駆け寄っています。
江夏は当時、私のヒーローでした。
思えば私の人生のエポックの年に
カープが優勝してきましたが、
今年、カープは調子がよくて、
25年ぶりに優勝するかも
しれません。
そこでこれからしばらく
カープのことを思い出して
みようと思います。
ネットなどで調べずに、
自分の記憶だけで
書き上げますので、
もしかすると、
少し事実と違うとことが
あるかもしれません。
また文中に出てくる人たちは、
とてもすごい人たちなのですが、
特に選手は呼び捨てで呼ぶことが
多かったので、子どものころの
ように敬称は略させてください。
1 子どものころ
昭和37年生まれの
私が子供の頃は、
被爆建物もまだ多くて
広島には原爆が落ちたあとの
戦後の雰囲気がなんとなく
街に残っていました。
そのなかで生まれたカープは、
みんな知っているように
昭和50年に初優勝するまでは、
毎年最下位あたりを
ウロウロしていました。
小学校1年ころまでは
アニメ「巨人の星」が
放映されていたので、
巨人しか知りませんでしたが、
小学3年ころからは
祖父や父に広島市民球場に
連れて行ってもらったりして、
だんだんカープファンに
なっていきました。
当時、「カープ少年友の会」
というのがあって、
入会すると青地に白文字の
「H」と刺繍された帽子と、
年間数枚の外野席自由席券を
もらえました。
それまでも年に何回か
祖父や父が野球をみに
連れて行ってくれていましたが、
友の会に入会したあとは、
友達と外野席にいくように
なりました。
当時は弱かったですが、
当時のエースだった
外木場が投げる日は
勝てるかもしれないと思って、
その日を選んで球場に
行ったものです。
そういえば、外木場が巨人を
ノーヒットノーランに抑えた
試合もみにいきました。
記憶では、そのストレートが
ものすごく速かったことと、
外木場キラーの末次が三塁線を
抜けるかというような打球を
打ったのを三塁手の西本
(巨人の西本投手のお兄さん)が
ファインプレーしてアウトにした
のを覚えています。
王、長嶋がいたV9時代の
巨人をノーヒットノーランに
抑えたのですから、
とてもすごいと思います。
【つづく】