東名高速のあおり運転での死傷事故―危険運転致死傷罪で有罪判決
2018.12.25|甲斐野 正行
昨年6月5日に神奈川県大井町の東名高速道路で、被告人が被害者に注意されてむかついて、被害者の車の進路を塞ぎ、追越し車線で無理やり停止させた上、自ら降車して被害者の車のドアを開けさせ、被害者を車外に引きずり出そうとしていたところ、被害者の車に後続のトラックが追突して被害者と同乗していた奥さんが亡くなり、同乗していたお嬢さん2人も軽傷を負った事件。
被告人は「危険運転致死傷罪」(予備的訴因として「監禁致死傷罪」)で起訴されていましたが、今月14日、横浜地裁で裁判員裁判による判決がありました。
昨年11月1日のブログで触れましたように、自動車の運転で必要な注意を怠り、人を死傷させた場合は「過失運転致死傷罪」であり、これは故意ではない過失犯です。これに対し、「危険運転致死傷罪」は、「妨害目的で走行中の車の直前に進入したり、著しく接近したりすると同時に、重大な危険を生じさせる速度で自動車を運転」(妨害運転致死傷罪)するなどの(それ自体は故意の)行為によって、人を死傷させた場合と定められており、傷害致死罪と同様に、故意の基本的犯罪である暴行によって、犯人が本来想定していない重い人の死傷結果が生じた場合に重く罰する犯罪類型の形をとっています。
ところで、ニュース報道によりますと、この事件で主な争点となったのは、被告人があおり運転をしたことは、「妨害目的で走行中の車の直前に進入したり、著しく接近したりする(と同時に、停止行為までのあおり運転時点では重大な危険を生じさせる速度で運転する)」行為に当たるものの、①高速道路上で停車させたことが「重大な危険を生じさせる速度で自動車を運転」する行為に当たるか、という点、②妨害運転行為と被害者の死傷との因果関係だったとされており、地裁判決は、①については、停止行為は、速度の点で「重大な危険を生じさせる速度」ではないし、停止は一般の理解として「運転行為」に当たらないとして、この要件に該当しないと判断したようです。
上記ブログで触れましたように、この法律は出来が悪いのですが、「重大な危険を生じさせる速度」というと、やはり高速度での運転か、少なくとも徐行とはいえない速度を想起させるかもしれません。そうすると、停止させた行為は最終的に速度ゼロですから、この要件には当たらないというのも一理ありそうですし、立法担当者の理解もそうであったようです。
しかし、この法律が妨害運転を処罰対象としているのだとすると、何が「重大な危険を生じさせる速度」かは、妨害を受ける側の車両の運転状況との相関関係で理解する必要があり、必ずしも時速20~30kmなどという具体的な速度であてはめをするべきではないのではないか、とも思われます。立法担当者の理解は尊重すべきではありますが、法解釈が立法当時の理解から変化することはあり得るところです。
元検察官の高井康行弁護士が「高速道路では停車や低速度の走行がむしろ、危険運転の構成要件の「重大な危険を生じさせる速度」にあたる。運転は車を発進、走行、停止させる行為から成り立ち、「運転」に停車が含まれるのも明らかだ。停車と暴行を一連の行為ととらえ、事故との因果関係を認めた点は妥当だと思うが、停車そのものを危険運転と認定した方がすっきりするのではないか。」とコメントされています(産経新聞)が、私的には、この理解の方が納得しやすいかと思います。
ただ、地裁判決は、停止行為が「妨害運転」それ自体には当たらないとしたものの、被害者に憤慨して文句を言いたいという意思のもと一貫してなされた行為で、停車後の被害者への暴行も含めて、停止行為までのあおり運転による妨害運転に密接に関連する行為であり、これらが被害者の死傷事故を誘発したとして、②の争点について因果関係を肯定し、結論として、危険運転致死傷罪の成立を認めました。
そうすると、どっちにしたって、危険運転致死傷罪が成立するのだから、①の議論はなんだったのか?という疑問をお持ちになる方もいらっしゃるでしょう。
法律は、要件ごとのあてはめを論理的に順番にしていくことになるので、こうした面倒な議論もやむを得ないのですが、なんともまだるっこしい感は否めないですよね。
ただ、この事件を因果関係の流れとして見てみると、
停止行為までのあおり運転→停止行為→停止→降車後の高速道路上での暴行等→後続車による衝突→被害者の死傷
というもので、停止行為が妨害運転に当たらないとなると、停止行為までのあおり運転から、停止行為以下の事象の流れが通常生じうるものだと言えなければなりません。通常、あおっただけではそこから発生する事象の可能性は多岐に亘り、停止して降車してそこへ後続車が衝突するというところまで行くのが通常と考えられるのか?というと、首をかしげる方も多いだろうと思います。妨害行為を早い時点で、つまり、停止行為以前のあおり運転に限定してしまうと、ホースで散水するときに多方向に向かって水を発車するノズルをつけているようなものだからです。これに対して、停止行為までを妨害運転と捉えれば、ホースのノズルが高速道路上で停止するところまで一方向に絞られるため、停車すれば降車することもあり得るし、後続車による衝突もあり得るというのは考えやすいのではないでしょうか。
その意味では、停止行為が「妨害運転」の一部ではない、となると、停止行為までのあおり運転だけでは、因果関係の点でも危険運転致死傷罪の要件を充たさない(あるいは充たしにくくなる)ことも十分想定でき、そうすると、①の議論も意味があることなのです。
そこで、②の因果関係の話ですが、被告人が前方に割り込むなどしたことが「妨害運転」に当たることは明らかであり、そのために、被害者が運転を誤って事故を起こして死傷したというのなら、わかりやすかったのですが、本件は、あおり運転の後、被告人も加害者も高速道路上で停止し(その時点では死傷結果は生じていない)、被告人が降車し、被害者を引きずり出そうとしているところへ、後続車が衝突したという流れであり、被告人も被害者も運転していないなかでの事故ですから、これはもう、妨害運転「によって」死傷結果が生じたとはいえないのではないか、という疑問があります。
しかし、因果関係の有無は、AなければBなし、という条件関係があることが最低限の基本になりますから、上記ブログで述べましたように、被告人のあおり運転がなければ、被害者が高速道路上で停止することもなかったはずで、したがって、事故も起こっていないはずといえますので、条件関係はあるといってよいでしょう。
それではさすがに因果関係が広がりすぎるので、社会通念でそんなことが通常あり得る範囲内かどうかという枠をはめる考え方をとるとしても、高速道路上で被害者に対する理不尽な憤慨からあおり運転をした上、停車させ、更に降車後もその憤慨から、高速道路上という場所の危険を顧みずに被害者に暴行に及んでいることは、運転それ自体ではなくても、道路交通法上問題のある行為で、被害者への一貫した理不尽な憤慨に基づく行為ですから、停車行為より前のあおり運転の延長線上の行為としてこれと一体のものと評価することもアリはアリでしょう。
そうすると、停止行為以前のあおり運転から先がどうなるかは一般的にはいろいろな可能性があるとしても、この事件に関しては、あおり行為から先についても、被告人の一貫した意思と行為によって、高速道路上で停車させ、降車して被害者に暴行しているところまで一定の方向性を持つホースのノズルが与えられたと考えることができます。そして、高速道路上でそのようなことをしていれば、後続車による衝突事故が発生することは社会通念上考えられることですから、因果関係の問題はクリアできそうです。
なお、上記ブログでも触れましたが、後続車も被害者の死傷結果に因果関係がありますが、両方が重なって一つの事故として現れることは普通の交通事故でも多重衝突としてよくあることです。このような場合、AもBもなければCなし、といえるかどうかで条件関係を判断します。あおり運転も後続車も両方がなければ被害者の死傷結果は発生していませんから、この事故での被告人のあおり運転と被害者の死傷結果との因果関係については後続車による追突は邪魔にはなりません。
今回の横浜地裁判決も、②については停止行為以降の行為を妨害運転と密接に関連した行為として、因果関係を認めていますが、同じような理屈なのでしょう。
ただ、密接関連行為という、いわば論理のアクロバットのような考え方が、一般の方の理解や認識になじむかは微妙なところがあります。
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