平成
2019.04.24|中井 克洋
平成31(2019)年4月1日、菅官房長官より新元号が「令和」になったとの発表がありました。
私が生まれたのは昭和37(1962)年ですが、昭和20(1945)年に戦争が終わってからまだ17年しかたっておらず、今思い返すと、広島にはまだまだ戦争の傷跡があったように思います。例えば私がまだ幼かったころには、戦争で手足に負傷した方が街頭で募金をしていましたし、徴兵された祖父には腕に銃痕がありました。戦争中は小学生だった両親からは原爆が落ちたときの悲惨な話をきいてきましたし、ことあるごとに戦中から戦後にかけての食料不足の話があって「今のように何でも食べられるのが普通だと思ってはいけない。食べ物を粗末にしてはいけない。」ということをよくいわれていました。
今もですが、原爆の後遺症に苦しんでいる方たちもかなりおられます。
その後、大人になって昭和が終わり、平成を迎えました。昭和天皇が崩御されて、平成になったときに広島市中区千田町にあった広島大学の図書館で司法試験の勉強をしていましたが、つい昨日のことのようです。こうしてみると、祖父や両親たちにとって、私が生まれたときには、戦争のことははるかに近い「昨日のこと」だったのだと思います。
平成を迎えたときには、日本はバブル期で繁栄を謳歌しており、戦争を身近に感じることはありませんでした。平成がおわろうとしている今、ミサイルが日本の上を飛んでいったり、多くの国が国際間のルールや約束を破ることに躊躇がなくなっており、平成が始まったころよりも戦争(武力衝突)の危険が少しずつ現実味を感じるようになってきました。
とはいえ平成は、それまでの元号の時代と違い、日本に戦争がなかった時代でした。令和の時代にもそれが続くことを強く祈ります。