カープと私【№2】
2016.08.23|中井 克洋
2 初優勝
昭和50(1975)年は、
私やうちの甲斐野弁護士が
修道中学2年でした。
前年まで3年連続で最下位と
なったため、
外国人のルーツが
新監督になり、
帽子の色が
真っ赤で文字は
「C」になりました。
当時、イチローの件で
最近話題になった
ピート・ローズを擁して、
大リーグで全盛期を
誇っていた
シンシナティ・レッズと
同じ帽子になりましたが、
とても優勝するとは
思いませんでした。
しかしオープン戦から
開幕当初に思ったのは、
とにかく打って走って、
点がよく入ることです。
今年のカープと同じように、
少々負けていても、
すぐに集中打がでて
逆転します。
1番セカンド 大下
2番ショート 三村
3番ファースト ホプキンス
4番センター 山本浩二
5番ライト シェーン
6番レフト 山本一義か水谷
7番サード 衣笠
8番キャッチャー 水沼か道原
という打線で、
先発投手は
外木場、池谷、佐伯
中継ぎは三輪、渡辺弘基
抑えは宮本
というところだったように
思います。
それでも、最初は調子が
よくても、戦力は薄いので
故障者が出るようになれば
脱落していくのがカープの
通例でしたので、
期待しませんでした。
しかも、4月おわりに
甲子園でルーツ監督が
審判に抗議したときに
フロントの重松代表が
グランドにでてきて
説得したことを
きっかけにして、
やめてしまいました。
数試合を野崎監督代行が
やったあとに、古葉監督が
新監督となりました。
私は父に連れられて、
古葉監督の最初の
試合となった
阪神戦を市民球場で
観戦しました。
私たちは右中間スタンドから
みていましたが、
阪神のカークランドの
ホームランが近くに
落ちたような
記憶があります。
試合はシーソーゲーム
となって勝ちました。
しかしそのときでも、
その年優勝するとは
思ってもおらず、
ましてや、その後も
優勝を繰り返して
古葉新監督が
球史に残るような
名監督になるとは思いも
しませんでした。
【つづく】