ゴルフ【№1】
2017.08.18|中井 克洋
これを書いているのが8月のお盆休みが終わったあとです。
松山英樹選手が全米プロで最終日に1位でハーフターンしたのに、後半に崩れて、
惜しくも優勝できず、最後に涙を流しました。
朝4時前に起きて最後までみていましたが、見ているほうがドキドキするのに、淡々と
最高のプレーをする松山選手は本当にすごいと思いました。
それだけに最後に少しずつショットやパターがぶれていったことは残念でしたが、
それとともに、最後に涙をみせたこととあわせて、松山選手も私たちと同じ人間
だったのだなと身近に感じることができて、なにかほっとしました。
とはいっても、松山選手は全米プロの前週の世界ゴルフ選手権
ブリジストンインビテーショナルも優勝しましたし、年間で3勝もするなんて本当に
すごいですね。
結婚して子どもさんもできたとのことですし、これからいよいよ人間としても
選手としても経験を重ねて、より一層の活躍をしてくれるでしょう。
ド下手の私にとっては、まわりのシングルの人たちは十分すごいし、さらにプロと
なると神の世界です。そのうえツアープロとなると想像もできません。
それどころか、松山選手は、アメリカPGAにいって、スピース、マキロイ、D・ジョンソン
たちと互して、350ヤードのドライバーを飛ばし、ピンのそばにアイアンをつけていきます。
優勝争いで負けて悔しいと思うレベルに日本人がいるというだけで本当は
アンビリーバブルなこと、きっと私たちは今伝説を目の当たりにしているのだと
思います。伝説を目の当たりにしている時は何とも思いませんが、後から思うと
すごかったなと思うことが伝説なのでしょう。
似たような話でいうと、私が中学2年のときに初優勝したカープはそれから大学
卒業するころまでの間、とても強いチームでした。
特にミスター赤ヘル山本浩二選手は、いつもここで打ってほしいと思った時に
ホームランやタイムリーヒットを打ちました。高橋慶彦選手はここで盗塁を決めてほしい
というときに必ず成功しました。
山崎隆三選手は簡単に送りバントをきめていました。そのころは、それが普通だと
思っていました。
しかしその後の低迷期のカープを見ると、全盛期のカープはすごかったんだと
思いました。昨年から今年にかけてのカープは強いですが、私にとってはまだまだ
昭和50年代から60年代はじめにかけてのチームのほうが強かったように思います。
そのころは何とも思いませんでしたが、伝説をみていたのだということをその後知りました。
今、同じように私たちは、松山君に伝説をみているのでしょう。【つづく】