「パワハラとタカラヅカ」
2020.09.17|甲斐野 正行
毎日仕事をしていて、最近、パワハラやセクハラについてご相談を受けることが特に多くなったという印象があります。
今年6月1日から大企業ではパワハラ防止法が施行され、中小企業でも2022年4月1日から施行されますし、男女雇用機会均等法でもこれに合わせて、今年1月にセクハラ防止対策の強化について改正されましたから、そうした法律の動きが背景にあるのかと思われますし、更にその基礎として社会的な意識が大きく変化しているのかもしれません。
ところで先日、タカラジェンヌを育てる宝塚音楽学校で、永年行われてきた「伝統」を廃止するという報道がありました。
宝塚音楽学校は2年制で、上級生(2年生)は「本科生」、下級生(1年生)は「予科生」と呼ばれるのですが、予科生は朝の校内掃除が日課となっており、個々の予科生が掃除場所を分担し、前年の担当者だった本科生が1対1で掃除方法から生活態度まで指導してきたそうです。ところが、この指導が行き過ぎたところがあり、予科生の一部に、過度な提出物が課せられ、身体を壊す予科生もいたとか。
学校側は上級生の指導に行き過ぎたところがあったとして、1対1の指導を昨年春に廃止し、校内掃除は、一人ひとりに場所を割り当てるのではなく、グループで担当する方法に変えたということです。
テレビ等でもよく喧伝されている、「阪急電車に礼をする」(本科生が乗っている可能性があるから)、「遠くに先輩が見えたら大声であいさつ」、「本科生の前では予科顔をする」(予科顔=口角を上げも下げもしない無表情)、「返事は原則、予科語」(予科語=「はい」か「いいえ」のどちらか)というようなタカラヅカ独特の慣習も廃止ということです。
先輩や上司が後輩や部下を指導したり注意をしたりするのは当然のことで、その状況や、後輩・部下の対応次第では言葉が厳しくなることもやむを得ないこともありますので、厳しいことを言ったからといって、何から何までパワハラになるということではありません。パワハラと言われるのを恐れて指導や注意がおろそかになるべきではないのです。
ただ、そうは言っても指導や注意として、それはそうだよね、という合理性や納得感がなければ、そもそも指導や注意たり得ません。
指導や注意の仕方、部下や後輩の育て方について、これまでの日本(もしかしたら世界的に)上司や先輩の立場の人がよく考えたり、教育や訓練を受けていたかというと、そうではないところがあるのではないかと思います。
そうした観点からみると、宝塚音楽学校の上記の4つの慣習は、よく話題に出るだけのことはあって、話としてはおもしろいのはおもしろいのですが、それは指導としての非合理性と裏腹だからであり、生徒を含めた社会の意識の変化の中ではそうした納得感のないやり方は変わらざるを得なくなっているということでしょう。
ただ、こうしたパワハラ的なものをやめさせるには、組織のトップがパワハラを禁止するメッセージをきちんと発信し、ルールを明確に作り、コンプライアンスを厳格に守るよう運用を徹底する、被害者の声をあげさせやすくするシステムを作る、といったことが必要です(パワハラ防止法はそうしたことを求めています)。
そういう意味では、音楽学校での生徒同士の指導のあり方というところに矮小化するのは適切ではありません。
もともと音楽学校の生徒は、当然のことながら若年で社会的経験も少ない(中卒で入学する人もいますし、高校途中で合格して入学する人も少なくありません)わけですから、上級生の指導といっても過大な期待はすべきではなく、パワハラやいじめにつながりかねないリスクをこれまで学校側がきちんと認識していなかったのがどうかという気がします。
更に言うと、宝塚歌劇団は、音楽学校を卒業して入団した後も、劇団員を「生徒」と呼び(それ自体、プロとしてのリスペクトをしていないように感じるのは私だけでしょうか)、「生徒」のマネージメントや公演チケットのさばきの大きな部分を一般人たるファンの非公認組織に委ねていて、その不透明さや弊害については指摘のあるところですが、そうしたタカラヅカ全体としてのコンプライアンス面での意識の低さが背景にあるようにも思われます。
以 上