「風はもう吹かない?」
2021.04.06|甲斐野 正行
昨年来、欧米で、日本人を含むアジア系が暴力を振るわれたり、暴言を吐かれたりするというニュースをよく目にします。昨今はヘイトクライムと言われることが多いですね。
全米の主要16都市では、アジア系に対するヘイトクライムが昨年はその前年の2.5倍にまでなったという報道もありました。
加害者は白人の場合もあるのですが、アフリカ系やヒスパニック系による場合がかなりあるようです。先月もニューヨークでアフリカ系男性が道を通りかかった60代アジア系女性に暴行した事件や、やはりアフリカ系男性が地下鉄内でアジア系男性に一方的に暴行を受けた事件が報道されていました。
もちろん、これはアフリカ系やヒスパニック系が人格的に劣っているとかという話ではなく、差別がある社会の中では、理不尽ではありますが、被差別者同士の間で、より弱い者に対して更なる差別をしてしまうという、とても残念な構造があるということです。
上記の2つの事件では、いずれも周りの人間が止めるでもなく、被害者を介抱するでもなく傍観し、地下鉄の事件では囃し立てる乗客までいたと報道されており、なかなか根深い問題があるように思われます。
こうしたことは以前からあったのですが、新型コロナによるストレス、社会の分断により、増加・激化しているのかもしれません。欧米では、もともと黄禍論というアジア系に対する偏見の土壌があり、新型コロナが中国起源と考えられていること、トランプ前大統領が煽ったことがそれに拍車をかけているともいえるでしょう。
ところで、今日、某新聞の1面で、こうした人種差別やヘイトクライム関連で「風と共に去りぬ」(以下「風去り」)にひっかけたコラム記事を読んだのですが、ちょっと首をひねりました。同コラム冒頭では黒人差別にまつわる問題を「風は去れども残りぬ」としながら、最後のまとめとして、南北戦争が終わって156年が経過しても、人種を差別し、社会を分断する「風」がやまないとしており、「風」の意味が冒頭と最後で異なっていますし、そもそもここでわざわざ「風去り」を持ってくるのはどういう意図なの?もしかして人種差別反対や奴隷解放を謳った作品と思ってるの?と、首をかしげてしまいました。
「風去り」は、映画主演のビビアン・リーが無茶苦茶綺麗で、クラーク・ゲーブルがまた格好よく、アカデミー賞9部門を受賞して、タカラヅカの舞台でも何度も演じられていますが、物語としては、アメリカ南部のアトランタを舞台に、南北戦争により南部の白人貴族文化が崩れていく中で、我が儘で気性の激しい(これでも抑えた表現です)白人農園主の娘スカーレット・オハラがたくましく生きる様を描いたものです。
ラストの「トゥモロー・イズ・アナザーデイ(原作小説の翻訳では「明日は明日の風が吹く」という典型的な訳ですが、映画では「明日に希望を持って」とか「望みはあるわ、また明日が来るんだもの」と色々意訳されています。)」というスカーレットの言葉が彼女のたくましさを象徴しており、横浜のラミレス前監督も敗戦後のインタヴューでは常にこの言葉で締めくくってましたね。
この題名の「風」とは、もちろん「南北戦争」であり、南北戦争で負けたことにより当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え去ったことを意味します。したがって、原作者マーガレット・ミッチェルは、この「風」を、人種を差別し社会を分断するものとしては意図していないことは明らかです。
というより、この作品は(フェミニズム的観点からは評価されており、女性からの人気も高いのですが)、そもそも奴隷解放とか人種差別反対を何ら意図するものではなく、むしろ敗戦前の南部の白人貴族文化を良き時代として郷愁をもって描いたもので、そのため1936年の原作発表当時から奴隷制度を正当化し人種差別を助長するという強い批判があったのです。
2001年には、「風去り」の黒人奴隷達を主体にした黒人からの批判的パロディとして「The Wind Done Gone(風はもう行ってしまった、もう吹かない、といった感じでしょうか)」が黒人女性作家アリス・ランデルによって著されており、昨年6月には、黒人男性が警察官によって殺害された事件をきっかけに全米で巻き起こった黒人に対する人種差別への抗議運動の余波として、またもや「風去り」がやり玉に挙がり、動画配信サービス「HBO Max」が「風去り」配信を停止する措置をとるまでに至ったのです。
「風去り」の内容やアメリカでの扱われ方をみると、上記コラムの文脈には整合しないように思われますし、言及するとすれば、もっと違う言い方が望ましかったかも。
それにしても、既に映画自体1939年の公開以来80年が経過しているのに、今更にこのような扱われ方というのは、いかにもアメリカ的かもしれません。
日本だと、作品には罪はない、昔の作品だから人権的配慮が乏しいのは仕方がない、という方も多いと思いますし、配信停止までするのはやり過ぎでは?とも思われるのですが、それだけ人種問題はアメリカではセンシティブかつ切迫した問題ということなのでしょう。
昨今の欧米の人権デューデリジェンスの考え方からすれば、私たち日本人も、これがスタンダードというくらいに考えたほうがいいのかもしれません。
それくらいセンシティブになっても、人種差別や人権侵害がやまない現実がある、ということです。
ちなみに「HBO Max」では、その後専門家による解説動画を付けて「風去り」の配信を再開しています。
以上