「5月~端午の節句~離婚後の子の監護」
2022.05.25|甲斐野 正行
うかうかしているうちに、もう5月も終わりに近づいてしまいましたが、5月5日は、端午の節句とされ、我が国ではこどもの日として祝日されています。
もともとは、奈良時代に中国から伝わった風習で、「端午」とは旧暦5月の最初の午の日をいい、午(ご)と五(ご)の音が同じことから、これを掛けて、5月5日が「端午の節句」の日となったようです。
そして、中国では5月は物忌みの月とされ、邪気や悪霊を祓うために 菖蒲湯 (しょうぶゆ)に入ったり、 菖蒲酒 を飲んだりする習慣があり、菖蒲(しょうぶ)と、武勇を重んじる尚武(しょうぶ)とをまた掛けて、江戸時代には端午の節句は男の子の成長を祝う日になったそうです。
一方、祝日としての「こどもの日」は、これを5月5日としたのは、端午の節句に因んだのでしょうが、趣旨としては、男女関係なく「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」というもの。
ただ、実社会では、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかる、というのとは真逆な事件が多いですし、私たち法曹が頻繁にぶつかり、悩むのは、離婚のときの子の親権・監護、面会、養育費での紛争です。
子の監護権は、通常は、離婚の際に親権者となった一方の親が持つのですが、親権者となった者が、必ずしも子の日常の監護に関して最も適任者であるとは限らない場合もあるため、民法は、親権者とは別に監護者を定めることができるものと定めています。
監護者は、監護教育権(民法820条)、子の居所指定権(民法821条)、懲戒権(民法822条)、職業許可権(民法823条)等の権限を有します。
しかし、親の双方ともが無責任であったり、虐待まがいのことがあったり、というときは、子の福祉の点では、なかなかしんどいものがあります。
事実上子どもの養育監護をしているのが、親ではなく、祖父母や親戚であったりすることもあるわけですが、事実上というだけでは、その祖父母や親戚の立場は法律的には強くありません。
そんなときは、いっそ実際に愛情を持って事実上監護している祖父母や親戚を監護者として指定してもらえれば、子どもにとってかなり良い方向で動くこともできるのに、と考えることもあるのですが、法律では親以外の者が監護者になれるかやその手続について規定したものがありません。
そのため、下級審の裁判例や学説上争いがあり、令和2年に大阪高裁が、「子の福祉を全うするためには、民法766条1項の法意に照らし、事実上の監護者である祖父母等も、家庭裁判所に対し、子の監護者指定の申立てをすることができるものと解するのが相当である。」として、子どもの祖父母が子どもの監護者として祖父母自身を指定するよう、裁判所に申立てを行うことはできると判断したのですが、昨年3月29日、最高裁は、この大阪高裁の決定を破棄し、「民法その他の法令において、事実上子を監護してきた第三者が、家庭裁判所に上記事項を定めるよう申し立てることができる旨を定めた規定はなく、上記の申立てについて、監護の事実をもって上記第三者を父母と同視することもできない。なお、子の利益は、子の監護に関する事項を定めるに当たって最も優先して考慮しなければならないものであるが(民法766条1項後段参照)、このことは、上記第三者に上記の申立てを許容する根拠となるものではない。・・・したがって、父母以外の第三者は、事実上子を監護してきた者であっても、家庭裁判所に対し、子の監護に関する処分として子の監護をすべき者を定める審判を申し立てることはできないと解するのが相当である。」として、父母以外の第三者は、事実上子を監護してきた者であっても、家庭裁判所に対し、子の監護に関する処分として子の監護をすべき者を定める審判を申し立てることはできないとしました。
これでこの問題は現行法の解釈としては決着がつきましたし、親以外の者がやたらに監護者の指定や面会を求めて出てくるというのも困るので、最高裁決定の結論はそれはそれでありなのですが、実際の子どもの福祉として現行法はそれでいいのか、という問題は残ります。
そこで、現在、法務省の法制審家族部会では、この点を含めた家族法改正について議論がされているところであり、案として、
①子の利益のために必要がある場合には、親以外の第三者も、親権者との協議により、子の監護者となり、また、子との交流をすることができるものとする。
②前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、父母、子又は当該第三者の請求により、家庭裁判所が当該事項を定めるものとする。
という規定を設けることも考えられています。
もちろん、そのような規定を設けるだけで足りるわけではなく、離婚の際に子の監護についての親同士の取り決めのあり方や、子の監護についての離婚後の情報提供等々、いろいろ考えるべき事柄が多くあります。
こんなことまで国が法律で口出しをしなければならないほど、親の自覚や責任感が落ちつつあるということでもあるわけですが、できるだけ子どもにとって良い監護のあり方ができるように法改正がされることを期待しています。