「七五三(^o^)」
2021.11.25|甲斐野 正行
11月15日を挟んで七五三の季節ということで、先週、先々週あたりから、七五三参りらしき親子連れをよく見かけます。
七五三というものがいつから始まったかは定かではありませんが、古くは平安時代から、もとになる行事が行われていたようです。
昔は生まれた子供が無事に成長するのは大変なことでしたから、よくぞ3歳になった、5歳まで何事もなかった、立派に7歳を迎えたと、その都度、氏神さまに感謝を捧げました。
3歳、5歳、7歳とされるのは、「3歳で言葉を理解し、5歳で知恵がつき、7歳で乳歯が生え替わる」という成長の節目の歳だからとも言われますし、また、中国の陰陽思想である「陰陽五行説」では、奇数は「陽」、つまり縁起がいい数字とされていましたので、それを節目としたという説もあります。
現代でも残っている五節句、つまり、人日(じんじつ・1月7日 七草の節句)、上巳(じょうし・3月3日 桃の節句)、端午(たんご・5月5日 菖蒲の節句)、七夕(たなばた・7月7日 笹の節句)、重陽(ちょうよう・9月9日 菊の節句)の5つの節句は明らかに陰陽五行説に基づくのでしょう。
他方、七五三は、中国の陰陽五行説にはない節句ですが、無関係とは思われません。
ただ、めでたいということなら、陰陽五行説では、奇数の中で最も大きな「九」が極まった数字とされますので、9歳を祝わないのは不思議な気がしますが、七五三のうち7歳の祝いは、女の子の「帯解(おびとき)の儀」が元になっており、鎌倉時代、着物を着る際に使っていた付け紐をとり、帯を初めて締める成長の儀式が執り行われていたようです。これが室町時代に「帯解の儀」として制定され、当初は男女ともに9歳で行われていたとされています。そうすると、陰陽五行説的には当初は最もめでたい9歳を祝っていたのが、いつからか7歳に変わったということなのかもしれません。
昔は、幼子はまだ神様の世界に近い存在であるため、ちょっとしたことですぐに神様のもとに還ってしまうものでもあり、無事に7歳を迎えることができれば、ようやく完全に現世の人間となる、とも考えられていたようですから、そういう考え方も合わさって変わってきたのでしょうか。
ではなぜ11月15日という日付が定着したのかですが、これもはっきりとはわかっていないようです。
江戸時代に第五代将軍徳川綱吉が11月15日に嫡男徳松の健康を祈願したことから、とか、11月15日は「鬼宿日(きしゅくにち)」と言って鬼が出歩かない日だから、などという説もありますし、昔の旧暦11月に、収穫を終えて秋の実りと子孫の繁栄を祈願したのが始まり、とも言われています。
15日なのは満月にちなんで、という説もあれば、「7歳」と「5歳」と「3歳」の数字部分を足すと「15」だから、という考えもあったようで、これは割としっくり来る感じです。
いずれにしましても、現在では医療が発達して、せっかく生まれた子ども達が早くに亡くなることが昔よりは少ない、幸せな時代となりました。
七五三は家族の楽しいイベントであり、上のお子さんの合格祝いや、下のお子さんの初参りなどと、併せてされる方も多いようです。
神社でも、七五三参りは、11月15日に限らず、別の季節でも普通に受け付けてくれるようですから、融通の利く時節を選んでお祝いをして、家族で楽しく過ごしてコロナ禍を吹き飛ばしていただければと思います。